フジテレビ問題
今回は、学びになった本の感想をまとめてみます。
集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を謝るのか? という本で、著者は古賀史健氏で共著で岸見一朗氏と書いた超ベストセラーの「嫌われる勇気」が有名です。
この本は、2025年で起きたフジテレビ問題について第三者委員会調査報告書をベースにわかりやすく翻訳し考察した本です。
この調査報告書は、公開されていて、誰でもPDFをダウンロードすることができます。私も、本を読んだ後、調査報告書を読みました。A4で約300ページあります。
こちらからダウンロードできます。
ご存知の方ばかりだと思いますが、フジテレビ問題とは、フジテレビの社員である女性アナウンサーが、タレントの中居正広氏から性暴力を受けたことに発する一連の騒動です。10時間に及ぶ記者会見は記憶にあると思います。
著者の古賀氏は、この第三者委員会の報告書を一読した感想を冒頭にこのように書いています。
少し長いですが引用します。
本文引用
”魂の報告書だ。ひとりでも多くの人にこのこの報告書を読んでほしい。ハラスメントに寛容な企業風土。正当な訴えが「ノリの悪さ」として封印されるホモソーシャル的な空気。容姿や年齢が重視され、セクハラの「受け流しスキル」が求めらる女性社員。軽んじられる人権と麻痺していく倫理観。そして誰ひとりとして現実を直視せず、責任を取ろうとしない経営陣の対応。
ページをめくるたび、日本社会に根深く残る悪習の数々があぶり出されていく。そして容赦のない筆致で切り捨てらていく。
しかも、ここで第三者委員会が振り下ろすのは、表層的な「正義」や「倫理」の刃ではなかった。どこまでも客観的な「あるべき経営」の刃だった。第三者委員会は、弁護士集団であり、法曹界の住人である。しかし彼らは名ばかりのコンサルとたちの何倍も的確に、法理にかなった「あるべき経営」のはを振り下ろしていた。
このように「魂の報告書」と称して絶賛しています。注目したいのは、ある大手メディアのスキャンダルの関しての報告書ではなく、企業、組織としての「あるべき経営」への問いだという視点です。
また著者は、この報告書にでてくる「集団浅慮」という四文字に注目しました。
集団浅慮とは?
本文では、集団浅慮の定義を「優秀であるはずの個人が集団となったときに発現する、あまりにも愚かな決定プロセス」とあります。
再び本文引用します。
調査報告書を読めばわかる。フジテレビ経営陣は、今回、典型的な集団浅慮に陥った。組織を守るため、「オレたち」を守るため、そのちっぽけなプライドを守るため、集団浅慮は加速していった。見て見ぬふりを決め込み、被害に遭った女性の人権をないがしろにし、ステークホルダーへの説明責任を果たそうともせず、結果として330社以上のスポンサー離れを招いた。
企業として、経営者として、ひとりの人間として、冷静に考えて社内外で対話を重ねて判断していればここまでのことにはならなったはずです。経営陣の勝手な解釈によって、最悪の結果を招きました。
「集団浅慮」のポイントは、組織における「凝集性」の高さにあるといいます。簡単にいえば、「その集団にとどまらせようとする力」のことをいい、組織における忠誠心、企業でいえば愛社精神、メンバーの結束力、団結力、仲の良さまで含まれる概念とあります。
ここで疑問が生じます。一般的な組織論で考えるならば、凝集性を高い環境をつくっていくのが経営者の大事な仕事だと理解しています。チームワークの良い組織は、凝集性が高くなります。逆に凝集性が低ければ、働きがいを感じられず、離職率を高くなるのは当然の原理です。
この罠はなになのか?
集団浅慮の発動条件

それは、「凝集性の高さがもたらす同調圧力」だといいます。
なるほど、少しわかった気がしました。この同調圧力は、無自覚に発動してしまいます。たとえば、この人の意見には従っておこう。ミーティングではこれぐらいの発言が望ましい。どちらも明文化されたルールががあるわけではなく、暗黙的な「あるべき姿」の共有なのです。
ここにアンチテーゼが持ち込まれたときに、その人は、「逸脱者」とされて、①説得→②疎外→③排除のステップを辿ります。
たとえば社内のミーティングでのシーンで、ファシリテーションをしている社員から、
「ほかに意見ある方はいますか?」とよく尋ねます。
参加者は互いに顔を見合わせつつも誰も口を開きません。そして少しの沈黙を流れたあとに、
「ありがとうございます。それではこのように進めていきます」と締めくくります。
自分には反対意見があるけど、他のみんなは賛成しているのであろうと考え、沈黙してしまう。
これが「沈黙という同意」になるわけです。
こうして、明らかに間違った判断であっても、同調圧力によって、反対意見すら発する環境すら与えられず、視野狭窄の陥ちいり、稚拙な意思決定がされることが集団浅慮の発動条件になるのです。
実に怖い。これはどんな組織でも起こりうることだと思いました。
集団浅慮への処方箋
では、集団浅慮に陥らないためにはどうしたらいいでしょうか?
本書では3つの処方箋を掲げてましたが、ここではひとつに絞ります。
それは、「批判的評価者の割り当て」だといいます。
ここで再び本書を引用します。
つまり、「それではここから、このプロジェクトが抱えるリスクをそれぞれ挙げていこう」というように、批判や反論の時間を設けるのだ。さらにジャニスは、少なくともひとり以上の「悪魔の代弁者」を配置するよう推奨している。悪魔の代弁者とは、自分の意思とは関係なく、考えうる批判や反論、リスク等をぶつけていく人間のことだ。
こうして建設的な批判にさらされるなかで、議論はブラッシュアップされ、より望ましいほうへ修正されていく。しかも組織のなかには「反対意見を言ってもいいんだ」「率直な感想をぶつけてもいいんだ」という空気が醸成されていく。もちろんここでの異論や反論は、凝集性を引き下げるものにはならない。
ここでポイントは、悪魔の代弁者、「自分の意思とは関係なく、考えうる批判や反論、リスク等をぶつけていく人間」を役割として機能させることだと思いました。
また、その組織のリーダーが、自分に自ら水をぶっかけることができるか否かも重要で、リーダーの意見が強く作用する環境をつくるらないことが重要になってきます。
実は、このことについては社長として結構を気をつけていたりします。
しかし、反対意見に耳を傾けずにぐいぐい進めてしまうことが、時にはあります。
ここで重要なのは、社内全体のカルチャーとして、「率直な意見を言える環境」がなりより大切だと思いました。
長くなったので今回は一旦ここまで。後編では、「ビジネスと人権」のテーマで考察していきます。